建築が好きだ。今も昔も。そんな建築を撮るもの好きだ。
東京に住むようになって、その昔、雑誌「新建築」などで見ていた建物を実際に見ることができる感動は計り知れず、特に意識せず歩いていて見つけた時の喜びは言葉にできないほどでした。とはいえ、基本は能動的に動かなければ見つけることすら困難なので幾つかチェックしてたりするものの、なかなか思い切って行動に移すことも少なく、いろいろと後回しになっているのが常で、「中銀カプセルタワービル」もその中のひとつでした。
設計した黒川紀章は、1959年頃から若手建築家・都市計画家グループとして社会の変化や人口の成長に合わせて有機的に成長する都市建築「メタボリズム建築」を提案していました。1972年に竣工したこの中銀カプセルタワービルはその思想が具現化したと言っても過言ではなく、エレベータや階段室を含む2本の鉄筋コンクリート塔とそれを結ぶ連絡通路が中核をなし、10㎡のカプセルが140個ほど取り付けられています。
中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト
老朽化したカプセルはそのもの自体を取り替えるという思想に基づいて設計されていて技術的には可能なものの、実際には一部のカプセルの交換は費用面を含め非常に困難という判断から、一度も交換されたことはないそうです。そんなカプセルは老朽化が進み各設備などの使用が困難になる中、建築材料として吹付けアスベストが使われていることなども問題となり、建て替えが決定していたのですが、現在は保存再生のプロジェクトが立ち上がるなど、建物を後世に残すべきという方向性で進んでいるようです。
事情を知らないワタシは、実際を見るまで当たり前のように残すべきだろうと思っていました。ですが、実際の建物を見てみると、本当にこの建物を保存していくことは難しいんだなと分かる程の老朽化具合でした。建物全体はネットで覆われ、更にある種独特の雰囲気を持ちその場に存在し続ける中銀カプセルタワービルは、なんとも言えない存在となっていました。
でも何と言うんでしょうか、この独特の存在感。45年も前に建てられた建物が、この日本の雑多な街並みを作り出してしまっているコンビニや自動販売機に埋もれながらもその存在感を失うこと無く、またある意味調和している現実を見て、本当にすごいなと、ただただそう思いながらシャッターを切っていました。
それにしても、こんな建物自体を思いつき設計し具現化した黒川紀章は、やはりすごい建築家だと思います。いやぁいい週末でした。見に来られてよかった。
中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクトでは、内部の見学会も行っているようなので、近いうちに今度は中も見てみたいなと思っています。一緒に行ってもいいよって方、連絡下さい、笑。